いつも遅ようございますの、まったり読み人ダイナレイですw
さて、本記事では、「そもそも文章読本とは何ぞや?」と疑問に思っているであろうそこのあなたに、わかりやすく解説したいと思います。ひと言じゃ済まないくらい、けっこう複雑な生い立ちなんですよw
文藝評論家の斎藤美奈子女史の著書『文章読本さん江』(ちくま文庫・2007)を参考文献に進めてまいります。
ちなみにこの作品、第1回小林秀雄賞を受賞しております。
正直、この『文章読本さん江』を一冊読めば、他の文章読本を読む必要がなくなりますw
お友だち面したタイトルに反して、最強の文章読本キラー!!なのよんww
「文章読本」という四字熟語を発明したのは、あの文豪、谷崎潤一郎だった!
え? そんなのとっくに知ってるって? そんなあなたはスペシャル鼻タカさん!
一般人はまず知りませんよ~。てか、ダイナレイは『文章読本さん江』読むまで知りませんでした。(もしくは、読み飛ばしていたと思われますw だれが開祖とか興味なかったんで……)
もちろん「文章読本」といえば、谷崎潤一郎というのは、文学界では常識です。次いで、三島由紀夫、中村真一郎、川端康成、丸谷才一、井上ひさしと、そうそうたる面々が連なります。The文豪たちの競演です。
その流れで、いつの間にか誰もが谷崎読本を開祖と認め、崇めてみたり反発してみたり、とにかく絡まないと気が済まないw みたいな風潮になっていったようです。ダイナレイは全部読み飛ばしましたがw
気持ちはわかりますよね。アノ文豪と紙面の上で絡めるとなったら、だれだって一度は絡んでみたいw 小説家なら、なおさら。
斎藤女史いわく、「挨拶部分がなによりいちばんおもしろい」んだそうですが、本文より序文・まえがき・あとがきの方が面白がられる本なんて、文章読本ならではですw
そんなわけで、「文章読本」という言葉を発明し、書名に冠したのは谷崎潤一郎でした!
「読本」とはもともと小学校の国語の教科書のこと
近世の「読本」は「よみほん」と読んで、物語文学のことを指しました。(「雨月物語」とか「南総里見八犬伝」とかですね)
それとは全く別の文脈で出てきたのが「読本(とくほん)」で、明治の初期にできた言葉です。学制発布の1872年に発行された『小学読本』がもっとも早い使用例です。英語講読の教科書(reader:リーダー)の訳語だったという説もあります。
ですから、元々の「読本」は、文字通り日本語の読み方を教える教科書だったのです。
それがいつの間にか「初心者向けの入門講座」のような広い意味合いで使われるようになり、歴史読本、経済読本、政治読本、人生読本などなどと特に昭和初期に大流行したそうです。
そんな流れの中で谷崎潤一郎の『文章読本』も出てきたようで、初版本の装丁は小学校の教科書もどきだったとかw 斉藤女史いわく、「なかなか遊び心のある(またはオッチョコチョイな)本」だそうですwww
要するに、同じ漢字でも「よみほん」と「とくほん」はまったくの別物で、「とくほん」は「教科書、入門講座」のような意味合いです。
「文章読本」は、日本語の「文章を書く」心得です。(小説じゃない)
以外と知られていないことですが、「文章読本」は日本語の文章を「書く心得」です。それも日常の文章の話で、「小説の文章」は除外されています。
あれ?「読本」は日本語の「読み方」の本だったはずなのに、
なぜか意味が反転してる!!
しかも、「小説は除く」って、どういうこと!?
ここは、谷崎大先生の『文章読本』を覗いてみましょう。
この読本は、いろ/\の階級の、なるべく多くの人々に読んで貰う目的で、通俗を旨として書いた。従って専門の学者や文人に見て頂けるような書物でないことは、論を待たない。(略)云わばこの書は、「われ/\日本人が日本語の文章を書く心得」を記したのである。 谷崎潤一郎『文章読本』(中公文庫・1975)
※くり返し符号は、横書きでは使用できないため、「/\」で代用しました。
「われわれ日本人が日本語の文章を書く心得」だそうです。
わ~~! 元祖は、一般の人が文章を書く時に注意すべきコトを「文章読本」としてまとめたそうですよ。要するにスペシャリスト向けではなく、日常的な文章力の向上を狙ったモノのようです。
それでは現代の文章読本の代表といえば丸谷才一先生ですので、そちらも覗いてみましょう。
文章論を言ひ立てるのは、これからはなるべく慎むことにしよう。もっぱら、文章の秘伝や奥義……とまではゆかないにしても、コツや心得、工夫や才覚のあれこれをできるだけ具体的に語ることにしよう。その場合、例文はなるべく小説の文章を避けることにしたい。(略)小説の文体といふのはやはりかなり特殊なもので、一般の人の作文の参考にはなりにくいからである。 丸谷才一『文章読本』(中公文庫・1980)
「小説の文体といふのはやはりかなり特殊なもので、一般の人の作文の参考にはなりにくい」のだそうですよ?
小説の文章は例文にはなり得ない、ということは、通常の文章作法から逸脱しているのが小説であるという共通認識があるようですね。
これは、歴代芥川賞受賞作をペラペラめくってみれば、みなさん納得するところではないでしょうか。
特にダイナレイの印象に残っているのは、2008年の第138回受賞作『乳と卵』(川上未映子)です。
紙面いっぱいに埋まる文字列。改行なし「。」なし「、」だけでひたすら文章がつづくという、どこまで読んだら終わるのさ……ていう感じの文章です。
「これは読めない」と、すぐにページを閉じてしまった思い出がありますw
でもこれ、当時の審査委員には絶賛されているんですよ……ナゾ過ぎる。
話が逸れてしまいましたw
ともかく、小説家の側にも自分たちの文章は一般の文章の参考にはならないという自覚があったようです。けれど、それは芸術ゆえのこと。
ふつーの文章もちゃんと書けるんだぞ、ということを一般の人に広く知らしめるために「文章読本」は書き継がれてきたのかもしれません。
でなけりゃ、小説家がわざわざ一般向けの文章読本を書く必要なんかなかったと思うんですよ。それこそ、新聞記者や雑誌のライターさんたちの分野ですから。
本音は、「君たちもっと端々まで文章に気を配って書きたまえ」なのかもしれませんねw
「文章読本」は小説を書くためには役立たない!
これまで見てきたとおり、「文章読本」は要するに国語(文章)の教科書なんです。
そこのあなた! 義務教育で国語は学びましたよね?
「え~っと、あんまり勉強しなかった-! テストの点も悪かった~!!」
という人以外は、基本的に文章読本は読まなくていい本です。もちろん読んでもいいです。日ごろ意識していなかった日本語の書き方を学び直すのは良いことです。
けれど、1冊にしてくださいね。どれもこれも基本的に国語の教科書ですから、同じコトしか書いてません。何冊読んでも基本は同じです。表現が違ったり、切り口が違ったりするだけで、中身は一緒です。
どこかに名文が書けるようになる方法が書いてあるんじゃないかと期待して読んでみても、書いてあるのは、「名文を読め、辞書を引け、ひたすら書け」これしかありませんw
ですから、「文章読本」と名のつく本で、読むべきはただ1冊。
『文章読本さん江』斎藤美奈子(ちくま文庫・2007)
これだけ読んでください。
文豪といえども、しょーもないな、人間だもんねw
と小説家というイキモノのお勉強になりますww
この本を読むと、あなたの小説家にたいするイメージがぐでんとひっくり返りますよ!