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ワセダ大学小説教室3三田誠広|書く前に読もう超明解文学史

ワセダ大学小説教室3部作レビュー記事もとうとう最後の1冊になりました。

第1作目は、小説の書き方の基礎の基礎の基礎

第2作目は、小説の書き方の上級篇

第3作目は、文学史解説

このような構成になっています。

特に第2作目を読んでいないと、第3作目が必読の書であることがよくわからないので、まだ読んでいないという方は、まず第2作目の記事を読んでご検討ください。

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時間のないあなたのために簡単に書いておきますと、

文学史を知らずに闇雲に書いても、「いま」と「時代」をリンクさせた小説を書くことができず、純文学系の新人賞をとることは不可能に近い

ということです。

そこが第2作目で懇切丁寧に書いてあります。

純文学系の小説家をめざしている人で、本を読まない人はいないとは思いますが、自身の読書経験に自信が持てない方は、今作は必読の書です。

たった1冊の文庫本を読むだけで、日本文学史が総復習できます。

時代を読む作家の視点が手に入ります。

読まない選択肢はないですよね。

「小説」という言葉の起源

もともと「小説」という言葉の起源は中国にあります。

史実に基づいて書かれた歴史書に対して、巷の噂話や小咄の類いを「小説」と呼びました。

歴史書に比べてやや価値が低いという意味で使われたのでしょうね。

後に、「西遊記」や「三国志演義」のような長編フィクションを「小説」と呼ぶようになります。

日本では、明治時代に英文学者の坪内逍遙(つぼうちしょうよう)が、英語のノヴェル(novel)の訳語として「小説」を採用しました。

坪内逍遙は、「物語(ロマンス)」の対立概念として、「小説(ノヴェル)」という言葉を用いたんですね。

なので、ここでいう「小説」には、荒唐無稽な物語の対極にあるべきリアリティーが必須なのです。

ダイナレイはこの事実を知ったとき、なぜライトノベルが文壇から小説扱いされないのかをようやく理解したのです。

だって、物語 ⇔ 小説 なんですよ。

もっとはっきり書くと、物語 VS 小説 なのですよ!

驚きです。

物語からの差別化戦略から生まれた言葉だったんですね。

もちろん、現在の「小説」という言葉はもっと広範囲な意味で使われています。

ちなみに、広辞苑では坪内逍遙が訳語に採用したことを記した上で、以下のような解説が為されています。

作者の想像力によって構想し、または事実を脚色する叙事文学。

韻文形式だけでなく、語り手が物語るという形式からも自由となった、市民社会で成立した文学形式。

古代における伝説・叙事詩、中世における物語などの系譜を受けつぎ、近代になって発達、詩に代わって文学の王座を占めるに至った。

広辞苑 第四版(岩波書店・1991)

叙事(じょじ)というのは、事件や事実をありのままに述べること。 

韻文というのは一定の韻律を持つ形式の整った文章のこと。和歌や俳句のこと。

うん、なんていうか、よくわかんないですね!w

なので、ダイナレイは勝手に、小説とは「何でもありな文学形式」って再定義してますw

あなたも、文学史を俯瞰してみた後で、自分なりの「小説とは」を考えてみてくださいね!

日本文学史 概便

実はですね、三田先生の解説はわかりやすいんですけれども、全体を把握するのにはやっぱり一覧表の形がベストだなって思うのですよ。

国語の資料集とかに載ってた一覧表ですね。

おそらく日本の義務教育を受けた方ならお持ちだと思うのですが、手元にあるようでしたら、ちらっと覗いてみてください。

眩暈(めまい)がしますから。

圧倒的な情報量。

憶えられる気がしませんw

なので、ダイナレイは独自で一覧にしたのですね。

ちょー簡略バージョンです。

けど、簡略しても一覧ですから、スマホで見るには適しませんw

なるべくPCの全画面表示でご覧ください。

(スペースが反映されないので後日キチンと表にします。)

 

時代 主な作品(作家)     文芸理念

上代 古事記・万葉集     「まこと」人間のこころを自然のままに写し出す素朴な美

新古今和歌集       現実を拒否し、ひたすら超現実の美を追求する

中古 竹取物語(最古の物語文学)伝奇的性格と写実的性格を結合

源氏物語(紫式部)    もののあはれ

今昔物語集(説話一大集成)物語世界からの脱出の試み

中世 平家物語・太平記(軍記物語)儒教的道徳思想・仏教的因果思想

御伽草子(お伽噺)   庶民の生活感情や夢を素朴な形で捉えた絵入りの短編物語

近世 雨月物語(上田秋成)   勧善懲悪の儒教道徳中心

南総里見八犬伝(馬琴)

近代 小説神髄(坪内逍遙)   勧善懲悪的文学観を排し、写実主義を提唱(物語批判)

浮雲(二葉亭四迷)    言文一致体(口語文体) だ調

武蔵野(山田美妙)    言文一致体(口語文体) です調

二人女房(尾崎紅葉)   言文一致体(口語文体) である調

蒲団(田山花袋)     自然主義(私小説)

刺青・細雪(谷崎潤一郎) 耽美主義(新浪漫主義、物語の再発見)

銀河鉄道の夜(宮沢賢治) 宗教・科学・芸術と現実・幻想の混合(哲学小説)

伊豆の踊子(川端康成)  新感覚派(比喩・擬人法・擬声語を多用)

蟹工船(小林多喜二)   プロレタリア文学

---------太平洋戦争(文学不毛の時代)---------

現代 斜陽・人間失格(太宰治) 無頼派(破滅的傾向)

俘虜記・野火(大岡昇平) 戦後派(「野火」は戦争文学の最高傑作)

万延元年のフットボール(大江健三郎)戦後世代

岬・枯木灘・千年の愉楽(中上健次) 私小説と神話的構造の融合

限りなく透明に近いブルー(村上龍) 視覚的な描写、美的イメージの積み重ね

風の歌を聴け(村上春樹)      アヴァンポップ

なんとなく、クリスタル(田中康夫) ハイパー・テキスト

とりあえずの、まとめ

上記一覧は今見返してみると、いろいろ不足が目立つので、時間があるときに追記します。

だいぶ大事なところまで抜けてますのでw

というのも、自分用にかなり簡略化&アレンジしたしたからです。

大塚英志先生からの情報も交じってます。

また、物語と写実の行ったり来たりの文学変遷も、まだ情報添加できていないので、あくまでも日本文学史の流れを追う参考にとどめてください。

最後に、三田先生のメッセージとして最終回の最終章から引用します。

 私と社会、実存と構造、幻想とリアリズム、スタイルと中身、これらはけっして、対立するものではないのです。むしろこの対立を乗り越える時に、「新しい小説」が創造されるのです。

社会的視野をもった私小説、あるいは私小説の切実さをもった社会小説、神話的構造の中に置かれた一回きりの人生、幻想の中のリアリズム、現実を直視することによって生まれる幻想、中身をもった新たなスタイル、切実さをともなった方法論の模索……。

その先に、二十一世紀に繋がる新しい文学の可能性が展けているのです。

「ワセダ大学小説教室 書く前に読もう超明解文学史」三田誠広(集英社文庫・2000)

なんとも壮大な展望ですねw

純文学って色々考えなくてはならないことが多すぎて大変だな~って思います。

ただ単に面白いストーリーだけでは不足で、(というよりストーリーは割とどうでもよいw)時代とか社会と個人とか、井の中の蛙ではやってけない世界。

引きこもってばかりだとダメなんだな~と改めて思います。

ダイナレイは引きこもり生活をめざしているので、ライトノベルの世界で妄想に励みますw

それでは、まったねー!